なぜこのキャンペーンを始めることにしたのか
私は学校で林学を学んだわけでも、林業や木材関連の仕事についているわけでもない、一般企業に勤務するビジネスパーソンです。2007年に、あるきっかけで尾鷲にある速水林業の林業塾を受講し、日本の林業の置かれた状況を知って衝撃を受けました。以後、森林ボランティアになろうと岐阜の郡上八幡に通いつめましたが、あまりに体力不足でチェーンソーを扱うのは無理と言われ、自分に合った貢献の仕方を求めて様々な学びを続けてきました。FSCジャパン、文化遺産を未来につなぐ森づくり会議、あるいは古川ちいきの総合研究所が主催する国産材ビジネスセミナーへの参加などです。自分でも、なぜこれほど森林・林業に惹かれるのだろうと不思議でしたが、最近一つの物語を思いつきました。
私は1960年生まれの58歳です。この年は、木材輸入自由化が始まり、国が国土の一元管理をやめて自治体に移管した年のようです。私は仮死状態で生まれ、医師の必死の努力で一時間後にようやく泣き声をあげました。富士山浅間神社の神様が、未来の森林の荒廃を憂い、私にその状況を変えるために働くようにと、命をつなげてくださった、そんな物語です。おかしいですよね。
皆さんは笑うかもしれませんが、私は何となくそれでいいと思っています。
林業現場で働いた事も、木材業界を直接知るわけでもない私が、何を生意気な事を、と思われるかもしれません。けれど、業界の外にいるからこそ見えるもの、できる事があります。
この10年、林業・木材業をめぐる環境は本当に大きく変わってきました。ICTなどの新技術を取りいれ、林業の情報産業化を目指し、着実な成果を上げる地域・人々の増加です。一方、木材の付加価値を更に高めようとする試みは、日々多くの情報が溢れる都市部の人々に、中々認知してもらえません。
その壁を超えるために、「この木どこの木?」という単純なフレーズを流行らせ、なぜ「どこ」なの?という違和感をテコに、木材トレーサビリティの意義や重要性に気付いてもらおうというのが、このキャンペーンを始めた目的です。
折しも、東京五輪の建築物へのグレーな木材使用が問題となっていました。人々の関心を引きやすい話題であり、日本林業の低迷の原因ともつながりがあるこの問題を取り上げ、実際の林業・木材業が抱える真の課題を知るきっかけにして欲しいと考えました。
このホームページに記載した内容はあくまでも私自身の見解であり、事実誤認や、読んだ人に誤った印象を与える内容が含まれている可能性もあることを、予めお断りしておきます。
今後も更に多くの人々と交流し、現場を訪れ、林業・木材業の発展に貢献できるよう、学び続けて行きたい、そしてもしご縁があるならば、いつかビジネスとしても関わってみたい、そう考えています。ご理解・ご協力を賜れれば幸いです。